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上田街中演劇祭2017「王様盛衰記」レビュー

上田街中演劇祭2017「王様盛衰記」レビュー

 

 

「上田街中演劇祭2017」参加作品の1つ、アートひかり公演『王様盛衰記』(作:ギィ・フォワシィ、翻訳:山本邦彦、演出:仲田恭子)は、軽妙なテンポで饒舌に語られる王様の盛衰が、実に〈演劇〉らしく展開される、〈演劇〉らしさにこだわった佳品であった。
 
 公演チラシで「社会的な暗部を独特なタッチで描くフランスのブラックユーモアの巨匠・フォワシィ長編一幕劇」と紹介される『王様盛衰記』は、会社勤めで疲弊したサラリーマンたる夫が主人公である。その王様の帰宅後の様子が、同居する3人の女性(王様の妻とその母、妹)とのやりとによってコミカルに演じられていく場面が『王様盛衰記』の大半を占める。王様がそう呼ばれるのは、家庭での傍若無人な振る舞いを承認/揶揄する、女性3人/作者による見立てでもある。実際、王様は背広姿にマントをまとい王冠をかぶって舞台に登場することになるのだが、開幕当初は女性3人のみが登場し、劇は次のように始まっていく。

    三人の女はじっと待っている。しばらくして
  母 このおだやかで平和な暮らしのなかで、
    あたしたちは王様を待っています。  
  妹 でも、王様なら誰でもいいわけではなく……
  母 あたしたちの王様です。
  妹 でも、王様なら誰でもいいわけではなく…
  母 この王様です。

 この直後に、妹が、舞台の上段に据えられた回転式の肘掛け椅子を回し、すると、「生気なく、ぐったりして座っている」王様が姿をみせる。3人の女性がその王様について「お話する」というのが、『王様盛衰記』の基本的な枠組みである。つまり、観客席からは4人の登場人物(王様、妻、母、妹)が見えているのだが、舞台上での3人の女性は王様を語ると同時に、過去の出来事を再現=上演してもいく。従って、3人の女性は、王様と過ごした時間を再現=上演すると同時に、この劇の語り手として観客に語りかけてもいくのだ。

これを観客の立場から整理すれば、3人の女性が王様のことを語るという劇の中で、劇中劇として過去の出来事が再現=上演されていくのを観ることになる。こうした枠組みの中で、王様はひたらす会社での労苦を語り、家庭では我が儘を通す。この時、王様の根拠となるのは、自分が働いて家族を食べさせていることで、いわば女性3人の「幸せ」は王様の労働ゆえに成立している。それゆえ、劇の後半、妻が仕事をみつけて社会参加することで、4人のパワーバランスは変容していくし、劇も急速に終焉に向かっていくことになる。

こうした『王様盛衰記』には、フェミニズムにも通じる女性の生き方や、社会/家庭における男女の関係、労働の問題等々が、アクチュアルなテーマとして読み込めもするのだが、ここでは、本作の背景である1980年代のフランスやそれに重ねられる現代日本と照らしながら、内容に踏み込むということはしない。そうではなく、そうした内容が他ならぬ〈演劇〉として構成‐上演されていたことにこそ注目したい。というのも、そうした局面こそが、本作の演出‐演技と深く切り結ぶことで、アートひかり『王様盛衰記』を成立させるポイントとなっていたのだから。

 それを具体的に言えば、たとえば俳優による発話モード(の切り替え)に、よくあらわれている。この作品を演じる俳優は、虚構世界において登場人物同士で会話をするかと思えば、次の瞬間には話題の人物である王様、あるいは実在する王様に言及し、そのことを観客(席)に向けて語りかけもする。こうした発話モードの切り替えが、単に相手を異にするばかりでなく、舞台(虚構)/観客席(現実)といった水準をも異にする中で、巧みな語り=劇のテンポをそのままに、しなやかに転じられていくのだ。そのことが、先に述べた『王様盛衰記』の枠組みを明らかにしつつ、その特徴を浮かび上がらせていく。しかもそれが、形式主義的な方法論によって、というよりは、作品世界を丸ごと包み込むような、しなやかな作品理解に基づくフレキシブルな演出によって成立している、というのが、仲田演出の特徴であり最大の強みである。確かに、『王様盛衰記』を上演する俳優達の物語と(それらを内包するところの)『王様盛衰記』という物語とが併走していながら、そのことがブッキッシュに悪目立ちすることなく、多層的な〈演劇〉の面白さを、観客はただただ目の当たりにしていくばかりなのだ。そんな贅沢な時をもたらす劇にも、次のようにして、終わりが訪れる。

彼女 (王様のそばに座って)さあ……これでおしまいです……私たちの王様のお話は……私たちのお話の仕方、ずいぶん下手くそだったでしょ?……あなたはいい役じゃなかったわね。でも仕方ないわ……私たちみたいな三人がお話したのですから……だから当然……

 こうした戯曲を選んだことそれ自体が、キャスティングとあわせて、上演以前において演出家自身が演出の特徴=特長をよく知悉していたことの証左であり、その時点で半ば成功は約束されていたのかも知れない。その演出によくこたえた俳優陣の演技が、それを確かな〈演劇〉にしたことはいうまでもないのだけれど。

松本和也 2017/10/07

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