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2005年3月発足!!
ありとあらゆる芸術活動を結びつけ、
こだわりと常識の打破を目指す!!!

空間アート協会ひかりメンバーブログ

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「日常茶飯事」作者・佐々木透の総括〜お茶の香一座に寄せて〜
 田紳有楽から。そうですね、これはかなり興味深いというか、土肥さんらしいっちゃらしいというか。口説という観点から、或いは歌曲という観点から小説を解体してしまう感覚には脱帽でしたね。出来上がったものに対しては専門外なところあるので言及は困難ですが、自分の価値観でものを言いますと、音楽に関しては(もしかすると音楽に限定されないことなのかもしれないと、最近では思うこともしばしば)こういう考え方を持つようになっていて、例えば、日本の腐敗著しい音楽マーケットひとつとってみてもじっくり考えていれば、ある流れが見えてくる。その流れというのは、アーティストの社会に対する仕事と、いいますか。売れりゃいいっていう業界の圧倒的な考え方に則ってみてもこれは適用される考え方といいますか。そうですね、要約すりゃ、なになにのアーティストはなになにの曲を創りあげた時点で、社会に対する貢献はある程度終了した、というような考え方です。
 この考え方というかこの方程式に今回の土肥さんの田紳有楽を代入していくと、藤枝ゆかりの作家、藤枝静男、田紳有楽、口説歌曲(ここが特にポイント)で、答えはどうなるかというと、現場でどうあろうと、ある程度アベレージ高く寄り切る結果になる、だろうと。
 そうですねえ、土肥さんの場合、自分は田紳有楽を、『口説、歌曲で』というところで、もう勝敗はある程度きまっていたように思います(厳密には恭子さんとの掛け合いのフレーズが出来上がった時点で土肥さんの勝ちは決まっていたでしょう)。後は精度の問題で、これは個人的に反省していただければいいのではないかと。
 歌詞のことはあまりよくはわかりませんが、たぶん、歌詞って言葉っていうより、やっぱり歌ってナンボなんだと。歌ってみてその効果ってのがわかるといいますか。
ですから余談になりますけど、みんなが何気なく口ずさむフレーズを創作されたのは、そこに仕事の意味が集約されてる気がしてならなかったのです。演者となると問題がまた別モノですからね、おそらく。

 仲田恭子演出について。これはもう、なにも言うことがありません。自分が創作したってこと含めて、も。直接お話したとは思いますが、今後、この戯曲をどこかで誰かが演出するようなことがあってもおそらく今回の藤枝の仲田恭子演出を超えないだろうなと。
 前記した仕事について言えば、自分は演出家の仕事にはっきりしたある一つの仮説というかビジョンをもっています。それは、世界中に戯曲と呼ばれるものはたくさんあるでしょう。その、一つでもいい、この戯曲はこの演出家の演出のために存在していたのか!っていうような事件が起こると確信しています。たった一つでもよくてですね、それがありゃ演出というひどく曖昧な仕事を見極めるうえでの一つの目安になると言いますか。仲田さんにはそういう作品との出会いはまだない気がしますね(世間的には授業なのかもしれませんが、あれであなたの能力が底割れするということは僕はまったく思いませんでしたから、むしろのコンクールで言われたような可能性を見るといいますか)
 土肥さんが幅の面白い話していたのをよく覚えているんですが、仲田さんの幅は存外、自分で決めるより他人からの制約のほうがより輝きを増すのではないかなってつくづく思いました。依存ではいけんませんが、自分で解っている自分なんてたかが知れてる。だから、仲田さんの場合、いかにあなたにとってマイナスの戯曲を選ぶかなんじゃないかなと。それで行くと今回、幸か不幸か、自分の作品は仲田さんにとって全く響くものではなかった。それは創りを見れば明らかだし、でも逆に思いいれのある人間には決して出来ない芸当だろうとも思いました。で、自分自身が仲田さんの演出作品に呼応した非情の大河での心の揺れとほぼ同一のものを日常茶飯事でも見せてもらいました。まさに原点回帰。それが解った時点で、自分の役目は自分で回収できました。
 土肥さんは、テキストはなんだって良いとおっしゃってましたが、自分はそうじゃないですね。やっぱり、これっていうテキスト、ある筈です。何でも良いのは何でもいいんですが、社会と繋がろうとする限りでは何でもよくはならない。他人との接触を一切断つのなら可能性はありますが、それでは演劇そのものが成り立たなくなるので。で、幅の話に帰依しますと、僕と仲田さんの価値観の幅はとても大きかった。その振れ幅がそのまま、作品に転換されて素晴らしい作品になったんだと思います。文句なしでした。

 場所、素晴らしかったですね。名実共に、空間アートになってきたと思います。あそこは劇場にすればいいんじゃないですかね。

 佐々木 透
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